伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)という神様が創った祈りの島、小豆島。 太古の時代より、人は島という大地、岩、石と共に生きてきました。
小豆島には、古くから自然への畏敬の念を基盤と、山や岩、川などの自然物が神聖なものとし、アニミズム(すべての個体に魂が宿るという信仰)が根付いています。山を開墾するにも、土と石と水と相談しながら石垣を築きつくった「中山の千枚田」は、対峙するものを分けるのではなく、一つになることを規範とする信仰と生活が一体化した自然と共存する暮らしのスタイルの象徴です。
昨今は、“スピリチュアル”“パワースポット”などといわれる隆起と噴火を繰り返しできた島の風景は、崇拝と祈りの対象として小豆島八十八ケ所霊場巡礼の旅(お遍路)、修験道、山岳霊場、岩石信仰 と深く結びつき、維持されてきました。島に訪れる人たちを魅了する、ある種のノスタルジーは、この大地への感謝と畏怖 ――“日本的霊性”の拠所――と深く結びついています。
17世紀初期、徳川から大坂城再築(1620~1629)の指示を受けた大名らは、石垣に使う良質な石材を求めて小豆島の各地区に採石場(石丁場)をつくりました。今でいう開発デベロッパーです。中世から続く修験道や辺路修行を基盤に「お遍路」の小豆島八十八ヶ所霊場巡礼システムが出来上がったのは、貞享三年(1686)といわれています。その後に、巡礼は盛況になります。つまり、採石場の開発の盛り上がり後、西国のデベロッパーらからの噂を聞いて巡礼・観光で小豆島へ足を運ぶ“お遍路さん”が多くなり、小豆島に八十八ヶ所霊場巡礼の受け入れシステムが確立したことになります。
小豆島に来た当時のデベロッパーたちは、観光客と同じように島の外からやってきて、この巡礼と霊場の存在に触れ、海に囲まれた大地だからこそ、畏怖が先鋭化された小豆島的霊性を体験したはずです。ここから小豆島の人たちがこの島で独自に育ててきた石に象徴される「大地」を崇めるスタイルに共感していたのではないかと思うのです。だからこそ、神聖な大地からの石の採掘は慎重かつ丁寧行われた可能性があります。つまり、江戸時代の小豆島において、小豆島的霊性は山岳信仰(お遍路)と石丁場の経済活動を調和させる重要な役割を果たした。自然への畏敬の念、アニミズムが本来持つ宗教的寛容さ、霊的実践と社会規範の維持が、信仰と経済活動の対立を最小限に抑え、持続可能な共存を可能にした。霊性が経済活動を倫理的に導き、経済活動が霊性を支えるという相互補完的な関係が築かれていたと考えられるのです。
外国人の方ならよくご存じの 『日本的霊性』を書いた鈴木大拙 氏の言葉から日本的霊性の持つ大地との関係性に触れる一部引用し紹介します。日本の仏教哲学者、文学博士である彼は、禅について英語で著し、日本の禅文化を海外に紹介した第一人者です。アメリカのビートニクのジャック・ケルアックらにも影響を与えました。
「霊性はどこでもいつでも大地から離れることを嫌う」(鈴木大拙全集八巻72頁)。
「生れるも大地からだ。死ねば死ねば固よりそこに帰る。・・・霊性の奥の院には実に大地の座にある」(同45頁)
「個体は大地の連続である。大地に根を持って、大地から出て、また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼吸している。それゆえ、個体にはいつも真実が宿っている」(同50頁)
「大地は言挙げせぬが、それに働きかけてくれる人が、その誠を尽くし、私心を離れ、自らも大地となることが出来ると、大地はその人を己が懐に抱き上げてくれる。大地はごまかしを嫌う」(同118頁)
小豆島の石、岩、山に代表される風景は、その奥に“小豆島的霊性”があるからこそ、何事も差別せず、すべての生命を平等に包摂し、浄化し、許す大地のメッセージを訪れる人々にも瞬時にあたえてくれるわけです。これが“スピリチュアル”“パワースポット”といわれる理由であり、この霊性が21世紀の今でも島で出会う風景のいたるところ、また島で出会う人の心にしっかりと引き継がれていることを体験できるはずです。(にほんげんきペンギンe-books「小豆島倶楽部」より
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