1934年(昭和9年)に寒霞渓を中心とした瀬戸内海一円が日本の国立公園と
して最初に指定されてから今年で90年。今や、世界からこの奇岩と空と海の絶景を観
に、多くの人が訪れています。この風景を、大切な郷土の宝物として、保全し末永く伝
えていこうと、「神懸山保勝会」をはじめ、多くの人が尽力してきました。その神懸山
保勝会の皆さんが寒霞渓のすばらしさを伝えようとした活動の一環で、1911年(明治
43年)に、日本で初めての洋画団体で数々の英才奇才を輩出してきた「太平洋画会」
(現在は太平洋美術会)の当世きっての人気洋画家10人を小豆島に招きました。その
ツアー名は、「十人写生旅行」! 滞在は約10日。今盛んに世間へPRを兼ねておこなわれているプレスツアー(ファムツアー)であり、また芸術家を招致し作品創りを支援する「芸術祭」の先駆けです。小豆島を愛する先人たちは、(たぶん日本初かも)いち早く先進的で洒落た形でこの郷土の風景を世
界に向けてPRしていたんです。10人とは、当初、中村不折、河合新蔵、大下藤次郎、鹿子木孟郎、満谷国四郎、高村眞夫、吉田博、中川八郎、小杉未醒、石井柏亭。中村不折画伯は、実際には不参加。その理由は「小豆島は前に2回も行ったし、最近体が調子悪いから、やめとくわ。もし画集とか出すなら後で参加するわ」ということで、実際は9人(笑)。油絵、水彩画、ペン画、鉛筆画などで瀬戸内・小豆島の日常と心癒される風景が当時の大人気洋画メンバーの指先から描かれ、大阪はもちろん、東京の新聞に掲載。当時のモダンボー
イ、モダンガールでは水彩画ブーム真っ只中。この旅行には、大人気水彩画月刊誌
「みずゑ」(現在は美術手帖別冊として発行)を発行していた大下藤次郎も参加する
とあって、いわゆるバズった(!)わけです。
その後、参加した小杉未醒によって編集され『十人写生旅行』として発行されました。(もちろん旅行に参加しなかった中村画伯の絵もちゃんと入ってます。)
この本の発行が日本初の国立公園としての機運を高めていくきっかけになりました、いまから100年以上前の日本のエピソードです。
現在、2024年。90年たち テクノロジーが進み、僕らの画材はスマホに変わりました。
彼ら10人に想いを馳せて、シャッポをかぶり、SNSで写生旅行とシャレこみますか!!(にほんげんきペンギンe-books「小豆島倶楽部」より
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