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守られてきた寒霞渓の景観~150年前にあった映画みたいな二人のほんとの物語~(にほんげんきペンギンe-books「小豆島倶楽部」より)

24年10月。環境、文化、経済、社会のバランスを保ちながら発展する「持

続可能な観光地」を調査認証する国際組織「グリーン・デスティネーションズ」(GD)は小豆島に対し、「シルバー」と格付けました。評価は透明性の高い具体的なデータを重視していることから、“今日から持続可能な観光地です”なんて無理な話。地域経済の発展と、環

境/文化の保護は、矛盾を抱えてしまうのも現実。だからこそ、小豆島・寒霞渓の格付け

は未来へ持続させ残していく「想いと意思」が長きにわたり、その土地と人に引き継がれて

きた証左でもあります。

 

この持続可能の観光地への物語は、今からちょうど150年前の小豆島・寒霞渓を心底愛

した二人の男から始まります。一人は、医者の“中桐絢海”。もう一人は、小豆島霊場16番

札所「極楽寺」の住職でもあった“森遷”。

 

神懸山ハイキングを楽しむ富裕層や文化人が多くなってきた明治期に、蘭学を礎とした

私学「高松医学校」の教頭だった中桐は、大阪の天才儒学者でコピーライター藤澤南岳

に、この地にふさわしい呼び名を発注。「寒霞渓」と決まるや否や、絶景ポイントルート(寒霞渓12景、東神懸、忠6谷)を造成し、新聞記者や文化人を小豆島へ招待し広報活動を

展開。二人が愉快に広報活動と、観光開発に奔走している様子が目に浮かびます。ついに

は天皇陛下も小豆島へいらっしゃることに!小豆島遍路旅行、観光汽船会社の団体旅行、

学生などの観光客も増え、醤油蔵の経済的な発展も相まって島が賑やかになっていきます。

 

一方で、寒霞渓の一部を個人が所有していることで、資源の採掘や貴重な樹木の伐採が

行われ、本来の風景が失なわれてしまうことも。二人は観光ルート整備だけでなく、100年後までこの風景を保全し、観光振興しながら次の世代に遺していくために、「神懸山を守る会(神懸山保勝会)」を設立。樹木を植え、鹿、サルの捕獲を禁止し保護する(この保護活動は「銚子渓おさるの国」へと受け継がれます)など、自然環境保護活動を本格的に始めます。


この二人の「風景」保全活動に対する先進性は、2つの出来事と符合します。それは、昨

今の外国人旅行者が感じる日本独自の四季・大地・自然の美しさの原型を作ったともい

える志賀重昂『日本風景論』の大ブーム。もう一つは日本初の自然保護組織『日本山岳会』

の設立です。中桐と森は、いずれも豊かな国土と自然の保護継承を前提としたこの出来事

に刺激も受け、宗教的な山岳巡礼と、欧米からの近代登山が溶け合う小豆島で、寒霞渓の

「持続可能性」の実践に向き合ったはずです。


日本の山岳地域は急速な近代化による悪しき開発が横行。寒霞渓もご多聞に漏れず、小豆

郡は県からの補助金で、登山道の改修開発工事を始めますが、景観破壊へつながる開発

だったらしく、この工事の差し止めを求めたと、森自身の編著『神懸山志』に遺しています。ゆえに二人は、寒霞渓を共有財産(コモンズ)として神懸山保勝会が所有する必要性を感じていきます。


時を同じくして、寒霞渓の外資によるリゾート開発買収計画が明るみになる大事件が起こ

ります。当然この買収を阻止しようとしますが、2人にはその資金がない…。途方にくれます。 そこにあらわるホワイトナイト。名は草壁町で醤油醸造業を営む“長西英三郎”。小豆島の醤油の販売拡大とブランド維持に貢献した「栄久社」(「小豆島醤油製造同業組合」の前身)を創立した島の名士。事情を知った彼は「人、ただ利を見るのみで、義を知らず」(四望頂にある「長西君義挙石碑」より)との憂いを持って、多額の寄付を投じ、寒霞渓景観保護に必要な土地を神懸山保勝会に買い取らせ阻止します。 以後、寒霞渓は神懸山保勝会所有となり、小豆島・寒霞渓の名声がさらに世に知れ渡り、名勝指定をうけ、その後日本初の国立公園に…。

  こんな映画みたいな物語の主人公二人は、こうして現在に続く島の観光経済はもちろ

ん、環境保全をも合わせた基盤を創りました。つまり、150年前の中桐と森の先進的な活動

の「想いと意志」が次の世代の「中桐絢海」「森遷」を生み、脈々と引き継がれてきたから

こそ、今回のGDのシルバー評価認証へと繋がって、いま日本を代表する寒霞渓の風景が、

あなたの目の前に広がっているのです。(にほんげんきペンギンe-books「小豆島倶楽部」より


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